会社のご案内 − 歴史年表
一粒社ヴォーリズ建築事務所のあゆみ
創立者W.M.ヴォーリズはアメリカに生まれ、建築家を志す青年でした。しかし外国伝道を行っていた宣教師、Mrs.ハワード・テイラーとの出会いが、長年思い詰めていた建築家となる夢を放棄させてまで、彼を外国伝道への献身に導きます。
1905年(明治38年)英語教師としてヴォーリズは来日しますが、僅か2年で教師の職を失ってしまいます。学生への伝道に反発する人たちとの摩擦を避けるためでした。
1908年(明治41年)の暮れ、来日4年目が近づく頃、ヴォーリズは京都YMCA会館新築工事の監督を依頼されます。建築家への夢をあきらめ来日したヴォーリズは、くしくも伝道活動を続けるための経済基盤として、建築設計事務所を始めることになります。
その後、彼の伝道活動は近江ミッション(後の近江兄弟社)へと組織的発展を遂げ、その事業は輸入建材やメンソレータムの販売、医療、教育、出版など多岐に渡りました。それは「様々な職業を通じて、人間生活の基準となるような、キリスト的生活を徹底的に実践すること」を目指した、彼の伝道そのものでした。
1910年(明治43年)にヴォーリズ合名会社、1920年(大正9年)にヴォーリズ建築事務所と名を変えながら建築設計活動は続き、作品は戦前だけで1500件あまりを数えます。
その組織はL.G.チェーピンに始まり、J.H.ヴォーゲル等、多くのアメリカ人建築技師の協力を得て海外技術の吸収に努め、その中から大丸心斎橋店や大同生命を手がけた佐藤久勝など、多くの日本人所員が習熟して行きます。
また事務所の作風は、人を驚かせるかのような建築家の自己主張をよしとせず、建築依頼者の求めに相応しい様式を選択し、その応用と近代的な改善を施すことに努め、住み心地の良い、健康を護るに良い、能率的建物を目指しました。
1941年(昭和16年)戦雲が立ち込め、多くの外国人が日本を離れる中、ヴォーリズは自らの意志で日本への帰化を選択。一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名します。
その年の暮れ、太平洋戦争が始まり、ヴォーリズ建築事務所は一柳建築事務所と名を変え活動を続けますが、戦時体制の影響によりやがて事務所は解散、所員は各方面へと散って行きます。
しかし終戦後、株式会社近江兄弟社内に建築部門が復活。再びヴォーリズの元へ次々と所員が集結します。
そして建築部門は1961年(昭和36年)6月に独立。株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所が設立されます。本社を大阪、支社を東京・福岡に置き、全所員がヴォーリズの精神を継承し、「確かな建築」を基本姿勢として、ヒューマンスケールに合致した温かみのある空間を創造するべく、今日も建築活動を行っております。
年譜
明治 | ||||
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1880 | 明治13年 | 10月28日 |
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生来病弱であったため転地療養のためアリゾナ州フラグスタッフへ。少年時代をアリゾナの雄大な自然に多くの感化を受けて育ち、絵画と音楽とに親しむ |
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1900 | 明治33年 | コロラドカレッジ入学。 |
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1902 | 明治35年 | カナダのトロントで開かれた「海外伝道学生奉仕団(SVM)」第4回世界大会にコロラドカレッジ代表として出席。 |
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1904 | 明治37年 | 海外伝道学生奉仕団本部から、日本の滋賀県が英語教師を求めているという手紙が届き、応諾 |
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1905 | 明治38年 | 1月10日 |
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1月29日 午後8時 |
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2月2日 3時半頃 |
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滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高校)英語教師として着任 |
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10月6日 |
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1907 | 明治40年 | 【作品】 ハーバード・アンドリュース記念館(YMCA会館) |
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3月 |
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1908 | 明治41年 | ドイツ人建築技師G・デ・ラランデの代理として京都YMCA会館の工事監督に指名され、京都三条柳馬場で建築設計事務所を開設 |
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1910 | 明治43年 | ロシア、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、イギリスを経由する帰米旅行へ。 |
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シカゴでメンソレータム社創業者A・A・ハイドと会い、後に伝道への援助としてメンソレータムの日本での販売権を得た。 |
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NYで同じ「海外伝道学生奉仕団」出身の建築家レスター・G・チェーピンと出会い、共に帰国。 |
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建築設計監理会社「ヴォーリズ合名会社」設立 |
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この頃、近江基督教伝道団(近江ミッション)、後の近江兄弟社を結成。 |
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1912 | 明治45年 | 「湖畔の声」を創刊 |
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大正 | ||||
1913 | 大正2年 | 【作品】 近江八幡池田町に吉田悦蔵邸竣工 これ以後赤レンガで囲まれた同敷地に数棟の洋館が建てられアメリカ町と呼ばれた。 |
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1916 | 大正5年 | 【作品】 明治学院大学礼拝堂 |
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1918 | 大正7年 | 結核療養所「近江療養院(近江サナトリアム)」開設、私設としては日本初の結核療養所であった。 |
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1919 | 大正8年 | 子爵一柳末徳の令嬢、一柳満喜子と結婚 |
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教育功労により藍綬褒章(1963) 勲四等瑞宝章(1965)など |
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1920 | 大正9年 | ヴォーリズ合名会社を解消し、ヴォーリズ建築事務所、並に近江セールズ株式会社を設立 近江セールズは主に米国から建材や雑貨・ハモンドオルガンなどの輸入販売を行った。 |
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1922 | 大正11年 | 【作品】 大丸百貨店 大阪店 |
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【作品】 大阪教会 |
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1923 | 大正12年 | ヴォーリズ、住宅設計に関する講演記録 「吾家の設計」出版 |
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1924 | 大正13年 | ヴォーリズ「吾家の設備」出版 |
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1925 | 大正14年 | 【作品】 大同生命ビル |
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1926 | 大正15年 | 【作品】 活水学院 |
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昭和 | ||||
1927 | 昭和2年 | 【作品】 駒井邸 |
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【作品】 京都大丸 |
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1929 | 昭和4年 | 【作品】 関西学院大学 |
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1930 | 昭和5年 | 母校コロラド大学から名誉学位LL.Dを受ける |
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1932 | 昭和7年 | 【作品】 大丸百貨店社主 下村正太郎邸(大丸ヴィラ) |
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【作品】 同志社 アーモスト館 |
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1933 | 昭和8年 | 【作品】 神戸女学院 |
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【作品】 東洋英和女学院 |
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1934 | 昭和9年 | 近江ミッション、近江兄弟社と改称 |
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1935 | 昭和10年 | 【作品】 山の上ホテル(佐藤新興生活館) |
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1937 | 昭和12年 | 【作品】 豊郷小学校 |
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「ヴォーリズ建築事務所作品集」を発刊(絶版) |
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近江兄弟社の組織を改め、ヴォーリズ建築事務所を近江セールズ株式会社の一部門とする |
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1941 | 昭和16年 | 1月 |
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妻満喜子の姓を名乗り、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。 |
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1942 | 昭和17年 | ヴォーリズ建築事務所を一柳建築事務所と改称 |
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1944 | 昭和19年 | 戦時体制の影響により一柳建築事務所解散 |
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1946 | 昭和21年 | 終戦 |
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1954 | 昭和29年 | 一柳米来留(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)社会教化事業の功績により藍綬褒章を受ける |
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1957 | 昭和32年 | 一柳米来留(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)クモ膜下出血に倒れる。以後近江八幡の自宅で療養生活に入る |
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1958 | 昭和33年 | 一柳米来留(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)近江八幡市名誉市民第一号に推挙される |
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1961 | 昭和36年 | 株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所を設立し、建築部門独立。本社を大阪に、支社を東京・福岡に置く |
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一柳米来留(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)建築界における功績により黄綬褒章を受ける |
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1964 | 昭和39年 | 5月7日 |
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5月16日 |
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1970 | 昭和45年 | 「湖畔の声」誌上の連載を元にヴォーリズ自叙伝「失敗者の自叙伝」出版 |
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1981 | 昭和56年 | 【作品】 宮城学院新キャンパス |
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「一粒社ヴォーリズ建築事務所作品集」を発刊(絶版) |
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1983 | 昭和58年 | 【作品】 広島女学院ゲーンズ記念ホール |
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1983 | 昭和58年 | 【作品】 啓明女学院新キャンパス |
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1988 | 昭和63年 | 大丸神戸「旧居留地38番館(旧ナショナル・シティ銀行神戸支店、1929年)」修復に伴うヴォーリズ展に図面協力 |
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平成 | ||||
1992 | 平成4年 | 【作品】 大阪女学院 |
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1993 | 平成5年 | アーバンリゾートフェア神戸'93(アーキテクチュア・フェアKOBE)に参加 |
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【作品】 大同生命ビル 建て替え |
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1994 | 平成6年 | 近江八幡市制40周年記念事業「ヴォーリズ・シンポジウム」に協賛 (平成6〜9年 3回シリーズ) |
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1995 | 平成7年 | 【作品】 山梨英和学院短期大学横根キャンパス |
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1996 | 平成8年 | 【作品】 神戸市看護大学 |
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1998 | 平成10年 | 【作品】 梅光女学院短期大学キャンパス |
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1999 | 平成11年 | 【作品】 静岡英和女学院礼拝堂 |
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2000 | 平成12年 | 【作品】 西南学院高等学校講堂 |
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2002 | 平成14年 | 【作品】 フェリス女学院中学・高校1号館 |
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2003 | 平成15年 | 大阪芸術大学博物館 秋季企画展(「洋風」の原点 ヴォーリズがのこした建築図面 ) 協賛 |
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2004 | 平成16年 | 関西学院創立者ウォルター・R・ランバス生誕150周年 ヴォーリズの「祈りのかたち」展 協賛 |
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2005 | 平成17年 | ヴォーリズ来日から100年を迎える |
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【作品】 大阪女学院 北校舎・チャペル |
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2007 | 平成19年 | 【作品】 神戸女学院 校舎棟 |
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2008 | 平成20年 | 建築設計事務所開業から100周年を迎える |
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滋賀県立近代美術館で、「信・望・愛−理想の居場所をつくる ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」開催 |